1906年ノーベル平和賞

受賞理由

アメリカ合衆国大統領として日露戦争の講和を斡旋したことに対して

受賞者

セオドア・ルーズベルト
セオドア・ルーズベルト

アメリカ合衆国アメリカ合衆国

解説

1904年から日本とロシアは大きな戦争をしていました。セオドア・ルーズベルト大統領は、けんかをやめさせるために両国の話し合いの場を用意しました。アメリカのポーツマスという町で会議が開かれ、二つの国は「もう戦わない」と約束しました。ルーズベルトは学校の先生のように、仲直りを手伝ったのです。この働きで、彼は世界の平和に役立ったと認められ、ノーベル平和賞をもらいました。賞を受けたアメリカ人は、当時まだほとんどいなかったのでとても注目されました。今も「話し合いで争いを止める大切さ」を教えてくれる出来事です。

関連キーワード

日露戦争

1904年2月から1905年9月まで行われた日本とロシア帝国の武力衝突。満州・朝鮮の支配権をめぐり、陸海両面で近代兵器が投入された最初期の総力戦の一つと評される。

ポーツマス条約

1905年9月5日に米国ニューハンプシャー州ポーツマスで調印された講和条約。南樺太の割譲、満州からのロシア撤兵、朝鮮における日本の優越権などを規定し、日露戦争を終結させた。

仲裁外交

第三国が紛争当事国の間に入り、戦争を回避・終結させるために合意形成を助ける外交手法。ポーツマス会議は国家元首が主導した近代的仲裁外交の嚆矢とされる。

大統領外交権限

米国憲法では外交権は大統領と議会が共有するが、ルーズベルトは実質的に大統領府だけで講和仲裁を推進し、行政府の国際影響力を拡大した。

平和仲介

武力衝突を交渉によって終わらせる行為全般を指す。非政府組織や国際機関が行う場合もあるが、1906年のノーベル平和賞は国家元首による仲介を評価した初期のケースである。

ハーグ平和会議

1899年と1907年に開催された国際会議で、戦争法規の整備と平和的紛争解決手段の確立を目指した。ルーズベルトの調停はその理念の実践例とみなされ、1907年会議の仲裁条項に影響を与えた。