1929年ノーベル化学賞

受賞理由

糖類の発酵研究

受賞者

アーサー・ハーデン
アーサー・ハーデン

イギリスイギリス

ハンス・フォン・オイラー=ケルピン
ハンス・フォン・オイラー=ケルピン

スウェーデンスウェーデン, ドイツ国ドイツ国

解説

パンを焼くときやビールを作るとき、砂糖を入れると、酵母という小さな生き物が砂糖を食べて泡を出します。この泡は二酸化炭素で、生地をふくらませたり飲み物をシュワシュワにしたりします。ハーデンさんとオイラー=ケルピンさんは、その泡がどうやってできるのかを調べました。彼らは酵母の中には「酵素」という働き者のたんぱく質がいて、砂糖を少しずつ別の物質に変えていることを明らかにしました。さらに、酵母の細胞をつぶして取り出した液だけでも発酵が起こることを確かめました。つまり、生きていなくても酵素があれば発酵できるとわかったのです。この発見は、食べ物作りやエネルギーを作る技術の基本になっています。

関連キーワード

発酵

発酵は微生物が糖やアミノ酸を分解してエネルギーを得る過程で、代謝の一形態である。有機化合物を電子受容体として利用し、酸素が不要である点が特徴的で、アルコール発酵や乳酸発酵など多様なタイプがある。この反応では熱や二酸化炭素、アルコール、有機酸などが生成し、パン、酒、チーズなどの食品加工に利用される。ハーデンとオイラー=ケルピンの研究は、発酵が段階的な酵素反応の連続であること、そして補助分子が不可欠であることを示した。現代のバイオ燃料や医薬品生産でも、発酵プロセスの最適化は重要な技術課題である。

酵素

酵素は生体触媒として働く高分子で、主にタンパク質から構成される。化学反応の活性化エネルギーを下げ、常温常圧で高速かつ高選択的な反応を実現する。発酵ではグルコースをフルクトース1,6-ビスリン酸に変換するホスホフルクトキナーゼなど、複数の酵素が協調して働く。ハーデンは細胞外でも酵素が機能することを示し、“生命の要素還元”を象徴する成果となった。酵素の研究は、構造生物学やバイオ医薬品開発に発展している。

酵母

酵母は単細胞真菌の総称で、食品発酵に欠かせない微生物である。Saccharomyces cerevisiaeはパン酵母として最もよく知られ、糖を分解してエタノールとCO₂を生成する能力に優れる。ハーデンと同時代の研究により、酵母抽出液だけで発酵が起こることが発見され、細胞内部の酵素系の解明につながった。遺伝的操作が容易なことから、酵母は真核生物モデルとしても用いられ、細胞周期や代謝制御の研究に大きく貢献している。近年は合成生物学により、新規化合物の生産工場としての応用も進む。

ザイメース

ザイメースは酵母細胞から抽出した可溶性酵素複合体で、糖のアルコール発酵を触媒する。19世紀後半にブフナーが発見し、ハーデンがリン酸存在下での活性増強を報告したことで脚光を浴びた。複数の糖分解酵素と補酵素からなる混合体で、現代的には解糖系の上流段階を担う酵素群に相当する。ザイメースの研究は、細胞外での酵素生化学の幕開けとなった。現在は歴史的用語だが、in vitro再構成経路の原点として教科書に記載される。

コエンザイム

コエンザイムは酵素反応を補助する低分子で、反応中に化学基や電子を授受する役割を担う。多くはビタミン由来で、NAD⁺やFAD、CoAなどが代表例である。オイラー=ケルピンが発酵を再活性化する“cozymase”を分離したことは、コエンザイム概念の確立に大きく寄与した。コエンザイムは再生されて繰り返し利用されるため、細胞内エネルギーと物質代謝の調整因子となる。医薬品として利用される例も多く、補酵素量の異常は代謝疾患の診断指標として重要である。

ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド

ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD⁺)は、電子伝達と酸化還元反応を媒介するピリジンヌクレオチドである。発酵や呼吸、DNA修復など多様な経路で機能し、NADH/NAD⁺の比は細胞の還元状態を示す指標となる。オイラー=ケルピンの“cozymase”研究がNAD⁺同定の礎となった。補酵素としてのNAD⁺は、アルコール脱水素酵素や乳酸脱水素酵素の活性に不可欠である。近年、NAD⁺代謝は老化や神経変性疾患との関連でも注目され、NAD⁺ブースターというサプリメントも開発されている。

解糖系

解糖系はグルコースをピルビン酸に分解し、ATPとNADHを生成する10段階の連続反応である。ハーデンらのリン酸エステル研究は、その初期段階の発見につながった。解糖系は真核・原核を問わず保存された基本代謝経路で、エネルギーと前駆体物質を同時に供給する。運動時の筋肉や無酸素環境下の細菌でも重要なエネルギー源となる。がん細胞の糖代謝亢進(ワールブルグ効果)を理解する上でも、解糖系の制御機構は不可欠である。

リン酸

リン酸はP原子と酸素からなるポリオキソアニオンで、生体内では高エネルギーリン酸結合としてATPや核酸の骨格に含まれる。ハーデンはリン酸が発酵速度を劇的に向上させることを発見し、リン酸化が代謝制御の鍵であることを示した。リン酸エステルは代謝中間体を活性化し、膜透過を防ぐチャージタグとしても機能する。環境中のリンは生物生産性を左右するため、農業では肥料として大量に利用される。過剰なリンの流出は富栄養化を引き起こし、水質保全上の課題となっている。