1968年ノーベル化学賞

受賞理由

不可逆過程の熱力学の研究、特に彼の名を冠した相反関係の発見

受賞者

ラルス・オンサーガー
ラルス・オンサーガー

アメリカ合衆国アメリカ合衆国, ノルウェーノルウェー

解説

氷が溶けるとき、熱はあたたかい手から冷たい氷へ一方通行で流れます。そんな「片道の変化」を科学では「不可逆」と呼びます。オンサーガー博士は、熱や電気、分子がどのくらい速く動くかを測るときの「きまり」を見つけました。彼のルールは、押す力と流れる量がちょうど鏡合わせになることを示しています。このルールのおかげで、冷蔵庫や電池、私たちの体の中の塩や水の動きをより正確に計算できるようになりました。その大発見により、彼はノーベル化学賞を受賞しました。

関連キーワード

不可逆過程

不可逆過程とは、自然に進む一方向の変化で、時間を逆にしても自発的には元に戻らない現象を指します。例えば熱が高温から低温へ移動したり、ガスが拡散して容器全体に広がったりする場合が典型です。これらの過程ではエントロピーが増大し、第二法則によりエントロピー生成は常に正になります。可逆過程と異なり、不可逆過程では摩擦や散逸が伴うためエネルギーの一部が熱などの形で失われます。オンザーガーの理論は「平衡からわずかに離れた不可逆過程」を数学的に取り扱う枠組みを提供しました。その成果は化学工学や生物物理学など、多くの領域で現実の散逸系を解析する基礎となっています。

オンザーガーの相反関係

オンザーガーの相反関係は、線形領域での現象論的係数行列Lが対称となるL_ij = L_jiという規則です。これは一つの力が別の流れを駆動する「クロス効果」と、その逆効果の強さが等しいことを意味します。実験的には、ペルチェ係数とゼーベック係数が同一温度で等しい、といった形で検証されます。微視的には詳細釣り合いと時間反転対称性に由来し、関係が破れるときは磁場や回転などが影響している可能性があります。この関係式は輸送係数の測定数を半減させる利点があり、材料開発やプロセス設計のコストを低減します。さらに、線形応答理論やフラクチュエーション・ディシペーション定理への発展の出発点ともなりました。

エントロピー生成

エントロピー生成は、不可逆過程が進むことで新たに増加するエントロピーの量を示します。線形不可逆熱力学ではσ = Σ J_i X_iと表され、各フラックスとそれを駆動する力の積の総和として計算されます。この値が正であることが第二法則の要件で、σ = 0は可逆極限を表します。プロセス工学では、エントロピー生成が小さいほど装置がエネルギー効率に優れると判断されます。生体内ではATPを用いた化学ポンプがエントロピー生成を制御し、秩序を維持しています。オンザーガーの理論は、σが二次形式として書けるため最小エントロピー生成原理を数学的に基礎づけました。

熱力学力

熱力学力X_iは流れを生じさせる勾配や差異を量化する変数で、例えば温度勾配−∇T/Tや化学ポテンシャル差Δμ/Tが該当します。オンザーガーのフラックス–フォース形式では、各フラックスJ_iに対して一意にペアとなる力が定義されます。熱力学力はエントロピー生成に直接寄与し、その大きさが流れの方向と強度を決定します。クロス効果を扱う場合には、複数の力が同一フラックスに影響し、相互結合係数L_ijが重要になります。実験では熱力学力を制御変数として設定し、応答フラックスを測定することで輸送係数を求めます。微視的には、熱力学力は巨視的エネルギー勾配として粒子に仕事をすることで流れを生み出します。

フラックス

フラックスJ_iは単位時間・単位面積あたりに移動する物理量(物質、エネルギー、電荷など)の量を表します。熱フラックスq、物質フラックスJ、電流密度jは代表的例です。線形領域ではフラックスは駆動力と比例し、比例定数が輸送係数になります。オンザーガー理論により、異種のフラックス間にも対称カップリングが存在することが示されました。例えば温度勾配によって電流が生じる熱電効果は熱フラックスと電流密度が相互作用する実例です。正しいフラックスの定義は統計力学的平均と一致している必要があり、計測やシミュレーションで注意が払われます。

輸送係数

輸送係数は、フラックスと熱力学力の比例定数で、熱伝導率、拡散係数、導電率などが含まれます。これらの係数は物質の種類、温度、圧力などに依存し、材料選定やプロセス設計の基礎データになります。オンザーガーの相反関係は、行列Lの対称性から輸送係数の独立個数を減らすことができます。グリーン–久保関係式により、輸送係数は時間相関関数の積分として分子動力学で計算可能です。ナノ材料では、サイズ効果で輸送係数がバルク値と大きく異なるため、正確な測定と理論の整合が求められます。高性能熱電材料の開発では、低い熱伝導率と高い電気導電率という相反する輸送係数の最適化が必須です。

線形応答理論

線形応答理論は、平衡状態に小さな外部摂動を加えたときの系の応答を一次までで近似する理論です。オンザーガーの仕事はその基礎となり、後に久保の公式で量子統計系に拡張されました。応答関数はエネルギー散逸とゆらぎの相関を結び付け、フラクチュエーション・ディシペーション定理として表現されます。材料の電気伝導率や光学的透過率など多くの物性評価が線形応答理論の枠組みで行われます。非線形効果が無視できる範囲を見極めることで、実験と理論の比較が簡潔になります。超高速レーザーや強電場などの強摂動下では線形応答からのずれが新奇物性を発現させる指標となります。

フラクチュエーション・ディシペーション定理

フラクチュエーション・ディシペーション定理は、平衡状態での自発的ゆらぎと外場に対する線形応答の大きさが等価であることを示します。これにより、応答関数は平衡相関関数だけで計算でき、実験やシミュレーションの効率が大幅に向上します。オンザーガーの相反関係はこの定理の古典的前駆体とみなされ、理論構築の重要なステップでした。電気回路のジョンソン雑音から複雑流体の粘弾性まで、多岐にわたる現象がFDTで統一的に理解されます。温度が異なる接触面など非平衡条件ではFDTが破れ、その破れ具合が新たな物理の指標となります。最近ではアクティブマターやガラス転移系など、平衡から大きく外れた系への拡張が活発に研究されています。