1990年ノーベル物理学賞
受賞理由
素粒子物理学におけるクォーク模型の展開に決定的な重要性を持った、陽子および束縛中性子標的による電子の深非弾性散乱に関する先駆的研究
受賞者
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国
カナダ
解説
私たちの身の回りの物は原子からできています。原子の中心にある陽子と中性子に、とても速い電子をぶつけて中をのぞく実験を三人の科学者が行いました。まるでピンポン玉をぶつけてスイカの中身を調べるような方法です。その結果、陽子や中性子の中に“クォーク”というさらに小さな粒があることがわかりました。クォークを見つけたことで、物質がどのように作られているのかを深く理解できるようになりました。
関連キーワード
深非弾性散乱
高い運動エネルギーを持つレプトンを原子核や陽子に衝突させ、内部構造を調べる手法。散乱後に標的が崩壊するほどエネルギーが大きいため「非弾性」と呼ばれる。運動量移動Q²が大きいほど空間分解能が向上し、点状構造の有無を判定できる。1970年代以降、電子・ミューオン・ニュートリノを用いた実験が盛んに行われた。現在もLHCの前置実験や宇宙線観測でPDFを決定する基礎データとして重要である。
クォーク
強い相互作用を担う基本粒子で、アップやダウンなど六種類のフレーバーがある。陽子はアップ2個とダウン1個、中性子はアップ1個とダウン2個で構成される。クォークは単独では観測されず、常に束縛状態(ハドロン)として存在する現象を閉じ込めという。電荷が±2/3eまたは−1/3eと分数であることが特徴。深非弾性散乱の結果がその存在を初めて明確に示した。
パートンモデル
リチャード・ファインマンが提唱した、ハドロンを点状の部分粒子(パートン)の集合として記述する近似理論。高Q²領域ではパートンが互いにほぼ独立に振る舞うと仮定することで、Bjorkenスケーリングが自然に導かれる。後にパートンはクォークとグルーオンに同定され、QCDの摂動計算で正当化された。現在のPDF概念の祖となり、LHCなどでの断面予測に不可欠。極限ではスモールx物理や飽和効果の研究へと発展している。
Bjorkenスケーリング
構造関数が運動量分率xのみの関数となり、Q²に依存しなくなるという経験則。ジェームズ・ビョルケンが予言し、SLAC実験で実証された。スケーリングは点状パートンの存在を示す鍵となり、クォーク模型を支持した。後にQCDでは対数的なスケーリング違反が計算され、実験データと高精度で一致する。スケーリングの成立・破れは強い相互作用の理論検証に不可欠な観測量である。
構造関数
深非弾性散乱の断面をパラメータ化する量で、F₁(x,Q²)やF₂(x,Q²)が用いられる。これらはハドロン内のパートン密度を反映し、PDFと直接結び付く物理量である。Callan–Gross関係によりスピン情報を取得できる点も重要。実験ごとの系統誤差が少なく比較可能なため、世界データを統合してグローバルフィットが行われる。得られた構造関数は宇宙線やニュートリノフラックス解析にも転用されている。
SLAC
カリフォルニア州メンローパークにあるスタンフォード線形加速器センターの略称。長さ3.2 kmの直線加速器を持ち、1960年代後半に世界最高エネルギーの電子ビームを提供した。深非弾性散乱実験のほか、J/ψ粒子の発見やBファクトリーなど多彩な成果で知られる。現在も線形加速器LSLACを改装したX線自由電子レーザーLCLSが稼働し、物質科学研究に貢献。粒子物理と加速器技術の発展を牽引してきた施設である。
量子色力学
強い相互作用を支配するゲージ理論で、SU(3)カラー対称性に基づく。クォークとグルーオンが基本場で、漸近自由性と閉じ込めという二つの特徴を持つ。Bjorkenスケーリングのわずかな破れはQCDの対数補正で説明でき、深非弾性散乱が理論の検証場となった。パートン分布の進化を記述するDGLAP方程式は、QCDの摂動計算から得られる。LHCやRHICでのジェット事象や重イオン衝突解析でも中心的役割を担う。
Callan–Gross関係
深非弾性散乱で電子がスピン1/2の点粒子を叩いた場合に成立するF₂=2xF₁という式。SLACデータはこの関係を良い精度で満たし、標的内部のパートンがスピン1/2であることを示唆した。クォークのスピン特性を直接検証できる貴重な指標である。QCD補正を加味すると若干のズレが生じ、その測定はα_s値の制限にも寄与する。ニュートリノ散乱でも同様の関係(PW比)が議論される。
電子線形加速器
電子を直線的に加速する装置で、円形加速器に比べてシンクロトロン放射損失が少ない。SLACの2マイル加速器は当時最高エネルギーの19 GeV電子を提供し、深非弾性散乱実験の鍵となった。加速管を連続的に配置しRF電場で粒子を押す構造を持つ。現在は医療用放射線源やX線自由電子レーザーにも応用されている。超伝導技術の導入で高デューティ比化が進み、次世代リニアコライダー計画を支える。
スケーリング違反
Bjorkenスケーリングが高精度測定で崩れる現象。QCDではグルーオン放射とクォーク対生成により、構造関数が対数的にQ²へ依存することを予言する。観測された違反パターンはDGLAP進化方程式で記述でき、強結合定数α_sの決定に用いられる。スケーリング違反の大きさはグルーオン成分の抽出感度とも直結し、PDFの精度向上に不可欠。高エネルギー宇宙線シャワーやニュートリノ望遠鏡でも重要な入力となる。