1997年ノーベル物理学賞

受賞理由

レーザー光を用いて原子を冷却および捕捉する手法の開発

受賞者

スティーブン・チュー
スティーブン・チュー

アメリカ合衆国アメリカ合衆国

クロード・コーエン=タヌージ
クロード・コーエン=タヌージ

フランスフランス

ウィリアム・ダニエル・フィリップス
ウィリアム・ダニエル・フィリップス

アメリカ合衆国アメリカ合衆国

解説

レーザーの光はとてもまっすぐで強い懐中電灯のような光です。チューさんたちは、この光を上手に当てると原子というとても小さな粒をゆっくりにできることを見つけました。原子がゆっくり動くことは、氷が冷たくなるのと同じで「温度が下がる」ことを意味します。冷たくなった原子は動きがゆっくりなので、小さな光の“かご”に閉じ込めることもできました。こうして、私たちは物質のひみつをもっと詳しく調べられるようになったのです。

関連キーワード

レーザー冷却

レーザー冷却は、原子やイオンの運動エネルギーを光によって低減する技術です。光子が持つ運動量を原子に繰り返し与えることで、原子の速度を平均的に小さくします。最低温度は量子力学的な限界によって決まり、通常の冷蔵庫では到底到達できないマイクロケルビン以下の世界に入ります。この極低温状態では、原子の波としての性質が大きく現れ、干渉実験や量子制御が可能となります。レーザー冷却は精密測定の基盤となり、今日の量子科学ブームを支える重要な要素技術です。

磁気光学トラップ

磁気光学トラップ(MOT)は、レーザー光と磁場を組み合わせ、冷却した原子を三次元的に閉じ込める装置です。空間的に変化する磁場によるゼーマンシフトと円偏光レーザーにより、原子には常に中心に戻る力が働きます。装置は数センチ程度と比較的小さく、実験室で簡便に超低温原子を得られる手段として広く普及しました。MOTで得た原子は高密度かつ低速で、蒸発冷却や光格子への転写に理想的です。現在では二段MOTや2D-MOTなど多様な派生形が開発され、原子ビーム源や光時計に応用されています。

ドップラー限界

ドップラー限界は、単純な二準位原子のレーザー冷却で到達できる最低温度を表す理論値です。その値はT_D=ℏΓ/2k_Bで決まり、原子の自然線幅Γが狭いほど低温にできます。この限界は光子の放出散乱に伴う運動量拡散と減速力のバランスから導かれます。実験的には、ナトリウムでは約240 µK、ルビジウムでは約146 µKが目安になります。後に開発されたサブドップラー冷却法は、この限界を破ってさらに低温域へ到達しました。

サブドップラー冷却

サブドップラー冷却は、ドップラー限界よりも低い温度を得るためのレーザー冷却法の総称です。多準位構造と偏光勾配を利用し、光シフトポテンシャルで原子を“坂登り”させるシシュフォス機構が代表例です。原子は坂を登るたびに光学ポンピングされ、運動エネルギーを光として放出して減速します。この過程はミクロケルビンから数十ナノケルビンまで温度を下げることができます。サブドップラー冷却は高精度干渉計や量子シミュレーションなどで不可欠な前処理段階となっています。

シシュフォス冷却

シシュフォス冷却は、偏光が周期的に変化するレーザーパターン内で働くサブドップラー機構です。ギリシャ神話で岩を山頂に運び続けるシシュフォスにたとえられ、原子は光ポテンシャルの丘を登るたびに内部状態が変わり、崖下に“落とされる”ようにエネルギーを失います。プロセスは確率論的ですが平均すると大きな冷却効果を生み、1 µK未満の温度が可能です。ドレストアトム模型による理論解析で力学が理解され、多くの元素で実験検証されています。シシュフォス冷却は磁場が不要で、狭線幅遷移を持つ原子や分子にも応用が拡大しています。

ボース・アインシュタイン凝縮

ボース=アインシュタイン凝縮(BEC)は、低温で多数のボース粒子が量子的に同じ基底状態を占有する相転移です。レーザー冷却と磁気光学トラップは、BEC生成のための初期温度と位相空間密度を実現する鍵となりました。1995年にルビジウムで初めて観測され、物質波干渉や超流動性の研究が飛躍的に進みました。BECは、量子渦、ソリトン、ジョセフソン効果など多彩な現象を示し、理論・実験の両面で豊かな研究対象です。さらに、フォトニックBECやマグノンBECなど、他系への拡張も盛んに行われています。

原子時計

原子時計は、原子の遷移周波数を基準にして時刻を刻む装置で、現在の国際単位系(SI)秒の定義に使われます。レーザー冷却により原子がほぼ停止すると、ドップラー拡がりが減少し、遷移周波数の不確かさが劇的に小さくなります。これにより、セシウム泉時計や光格子時計は10^-16~10^-18という驚異的な精度を達成しました。超高精度時計は、GPSや地球重力ポテンシャルの測定、基礎定数の変動検証など幅広い応用を持ちます。将来的には、光時計が秒の再定義に採用される見込みです。

光格子

光格子は、対向するレーザーの干渉でできる立体的な周期ポテンシャルで、原子を結晶のような規則正しい配列に固定できます。レーザー冷却された原子を光格子に入れることで、固体物理モデルを純粋かつ可変な条件で再現する“量子シミュレーター”が実現します。サイトあたり原子数を制御すればハバード模型の金属絶縁体転移やスピン相互作用を詳細に研究できます。また、光格子時計では、格子中に束縛された多数のストロンチウムやイッテルビウム原子が協調して高い周波数安定度を出します。光格子技術は量子情報やメタマテリアル研究にも応用が拡がっています。