1901年ノーベル生理学・医学賞
受賞理由
血清療法の研究、特にジフテリアに対するものによって、医学の新しい分野を切り開き、生理学者の手に疾病や死に勝利しうる手段を提供したこと。
受賞者
ドイツ帝国
解説
昔は「ジフテリア」というのどの病気が子どもたちを苦しめ、多くの命を奪っていました。エミール・ベーリング博士は、病気と戦う助けをしてくれる「血清」という液体に注目しました。彼はウマにジフテリア菌の毒を少しずつ打ち、ウマの体の中で毒をやっつける力を集めました。そのウマの血から取り出した血清を人に打つと、人の体にも毒をやっつける力がすぐに入りました。この方法のおかげで、ジフテリアで亡くなる子どもが大きく減りました。ベーリング博士の発見は「注射で病気を止める」という今のワクチンや薬の開発の第一歩になりました。
関連キーワード
血清療法
血清療法とは、特定の病原体に対して免疫を獲得した動物や人の血清を、他の個体に投与して病気を治療・予防する方法です。1890年にベーリングと北里柴三郎が破傷風で示唆して以来、ジフテリア、ペスト、髄膜炎など多くの感染症で応用されました。抗生物質が普及するまでの数十年間、血清療法は重症感染症における唯一の有効な治療法として臨床現場を支えました。近年では、エボラ出血熱やCOVID-19など新興感染症で回復者血漿を用いた同様のアプローチが再び注目されています。ベーリングの血清療法は、今日の免疫グロブリン製剤やモノクローナル抗体治療の技術的・概念的祖先といえます。
ジフテリア
ジフテリアはCorynebacterium diphtheriaeが産生する外毒素によって、咽頭や喉頭に偽膜を形成し窒息や心筋障害を引き起こす感染症です。19世紀には子どもを中心に流行し、高い致死率で「絞輪病」とも呼ばれ恐れられました。毒素が血流に乗ると神経麻痺や心筋炎をもたらし、迅速な治療がなければ命にかかわります。血清療法とトキソイドワクチンの導入後、先進国では症例数が劇的に減少しましたが、ワクチン接種率が下がると再興のリスクがあります。ジフテリアは現在も一部地域で流行しており、公衆衛生上の監視とワクチン接種キャンペーンが不可欠です。
抗毒素
抗毒素は細菌や毒素に特異的に結合して無毒化する抗体の一種で、体液性免疫の主要エフェクター因子です。ベーリングは抗毒素を血清から回収し患者に投与することでジフテリア毒素を中和できることを示しました。抗毒素価は中和試験で定量され、その単位系は後の国際単位(IU)に発展しました。現在でも破傷風抗毒素や蛇毒抗毒素など緊急使用される免疫血清が存在します。抗毒素の発見は抗体が「鍵と鍵穴」のように抗原に特異的に結合するという免疫学の基本原理を確立する契機となりました。
受動免疫
受動免疫とは、他個体が作った抗体や免疫細胞を移入して短期間の防御を得る免疫形態です。血清療法は抗体を直接投与する典型的な受動免疫で、効果発現が速い反面、持続期間は数週間から数か月に限られます。新生児が母親から胎盤や母乳を介して抗体を受け取る自然受動免疫もあります。近年、COVID-19治療に用いられる中和抗体薬や回復者血漿も受動免疫の原理に基づいています。受動免疫はワクチンによる能動免疫を補完し、緊急時や免疫不全の場面で重要な治療選択肢となります。
ジフテリア菌
ジフテリア菌はグラム陽性桿菌で、ヒトのみを宿主とする呼吸器粘膜の病原体です。毒素遺伝子toxはリソゲンファージにコードされ、鉄イオン濃度が低い環境で毒素産生が誘導されます。外毒素はNAD+依存性ADPリボシルトランスフェラーゼで、細胞のEF-2を修飾してタンパク質合成を停止させます。病原性判定にはエレックテストやPCR法が用いられ、毒素産生株のみが重症ジフテリアを引き起こします。現在のワクチンはこの毒素を無毒化したトキソイドで免疫記憶を誘導し、感染を防ぎます。
トキソイド
トキソイドは毒素の病原性を化学的または熱的に失活させつつ、抗原性を保持したワクチン原料です。フォルマリン処理が一般的な製造法で、ベーリングの研究をもとにラモンらが開発を完成させました。ジフテリアや破傷風など毒素性疾患に対する主力ワクチンとなり、DTP三種混合ワクチンにも含まれています。トキソイド接種で能動免疫が誘導され、抗体が長期間持続するため追加接種は10年に一度で済みます。トキソイド技術は近年、ボツリヌス毒素や植物毒素のワクチン開発にも応用が検討されています。
抗体
抗体はB細胞が産生する免疫グロブリンで、抗原特異的に結合して中和やオプソニン化を行う分子です。ベーリングの抗毒素研究は、抗体が病原性分子を直接不活化し得ることを初めて示しました。抗体にはIgG, IgM, IgAなど複数のクラスがあり、血清療法で用いられるのは主にIgG分画です。近年のモノクローナル抗体技術は特定の抗原に対する抗体遺伝子をクローニングして大量生産するもので、血清療法より安全で再現性に優れています。抗体工学はがん免疫療法や自己免疫疾患治療など多彩な応用を生み出し、世界の医薬品売上上位を占めるまでに発展しました。
免疫学
免疫学は生物が病原体や異物から身を守る仕組みを研究する学問で、19世紀末に血清療法とファゴサイトーシス研究を契機に誕生しました。体液性免疫と細胞性免疫の二大潮流は、ベーリングとメチニコフの議論を通じて概念が整理されました。その後、側鎖説やクローン選択説、免疫寛容などの理論発展を経て、抗体生成やT細胞分化の分子機構が解明されました。現代の免疫学はワクチン開発、アレルギー、自己免疫疾患、がん免疫療法など多岐の分野と密接に連携しています。ベーリングの仕事は実験的方法と臨床応用を結び付ける「トランスレーショナル・リサーチ」の先駆例としても評価されています。