1989年ノーベル生理学・医学賞

受賞理由

レトロウイルスのがん遺伝子が細胞起源であることの発見

受賞者

J・マイケル・ビショップ
J・マイケル・ビショップ

アメリカ合衆国アメリカ合衆国

ハロルド・ヴァーマス
ハロルド・ヴァーマス

アメリカ合衆国アメリカ合衆国

解説

私たちの体の細胞には、ふだんはきちんと働き、細胞の成長を助ける遺伝子がたくさんあります。ビショップ博士とヴァーマス博士は、にわとりに感染するレトロウイルスを調べているとき、そのウイルスの“がん遺伝子”が実は動物の細胞の中に元からある遺伝子とほとんど同じだと気づきました。つまりウイルスは細胞から遺伝子を借りて持ち歩き、形を少し変えていたのです。この遺伝子が暴走すると細胞は止まらずに増え続け、がんができます。この仕組みを知ったことで、がんがなぜ起きるのかを理解する大切なヒントが得られました。発見は、がんを早く見つけたり治したりする研究の土台になりました。

関連キーワード

レトロウイルス

RNAを遺伝情報として持ち、逆転写酵素でDNAを作って宿主ゲノムに組み込むウイルス。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)やラウス肉腫ウイルス(RSV)が代表例。組込み後はプロウイルスとして細胞分裂に合わせて複製されるため、長期にわたり宿主に潜伏できる。がん遺伝子を取り込むことで腫瘍化を促進することがあり、そのメカニズム解明は遺伝子治療ベクター設計にも応用されている。レトロウイルス研究はウイルス学と分子生物学の融合領域を切り拓いた。

がん遺伝子

細胞増殖を促進するタンパク質を過剰に作らせたり、常に活性化状態に保ったりする変異遺伝子。正常細胞に存在するプロトオンコジーンが変異・転座・増幅などで機能獲得すると誕生する。オンコジーン産物はチロシンキナーゼ、Gタンパク質、転写因子など多彩で、シグナル伝達ネットワークの節点を占める。標的阻害剤はオンコジーン依存性にあるがん細胞を選択的に抑制できる。したがってオンコジーンの同定は分子標的治療の出発点といえる。

プロトオンコジーン

発生や組織修復に必要な正常シグナル伝達を担うが、活性化変異を受けるとオンコジーン化する遺伝子。c-srcやc-ras、c-mycが代表的で、細胞周期やアポトーシス制御と密接に関わる。プロトオンコジーンの進化的保存性はその生理的必須性を示し、一方で変異脆弱性が腫瘍化リスクを内在させる。BishopとVarmusの発見はこの概念を初めて提示し、がん研究をウイルス中心から細胞中心の視点へ変革した。現在は、プロトオンコジーン活性化の多段階発がんモデルが臨床腫瘍学の基本となっている。

src遺伝子

ラウス肉腫ウイルスに由来する最初の発見的オンコジーンで、チロシンキナーゼ活性を持つ。細胞型c-srcは細胞の形態制御や接着に関与し、F-actin再編成を媒介する。v-srcはN末端ミオリスチル化などの修飾異常により常に活性化しており、形質転換細胞に特有の焦点形成を引き起こす。src研究は非受容体型チロシンキナーゼ全体の機能解明に道を開き、ABLやLCKなど関連キナーゼのがん関連変異解析が進んだ。現在もsrc阻害剤は固形腫瘍の薬剤耐性克服戦略の一環として試験中である。

逆転写

RNAを鋳型にDNAを合成するプロセスで、逆転写酵素(RT)が触媒する。レトロウイルスはこの機構でRNAゲノムをDNA化し、宿主染色体へ組み込む。RTの発見は『セントラルドグマ』の例外を示し、分子生物学に大きな衝撃を与えた。現在はRTを応用したRT-PCRが遺伝子発現解析の標準技術として利用されている。RT阻害剤はHIV治療の主要薬となり、ウイルス学と創薬研究の橋渡し役も果たす。

シグナル伝達

細胞外刺激を受容体が検知し、リン酸化カスケードやセカンドメッセンジャーを介して細胞内応答へ変換する一連の過程。プロトオンコジーン産物の多くはこの回路の節点で、活性亢進は分裂促進やアポトーシス抑制を引き起こす。srcやras、EGFRなどの異常活性化は悪性化と転移性の増強に直結する。シグナル経路の詳細解明は、阻害剤設計やバイオマーカー選定に必須情報を提供する。現在、複数経路を同時に標的とする複合療法が耐性克服の鍵として検討されている。

発がん機構

正常細胞が多段階の遺伝子変異やエピジェネティック異常を経て悪性細胞へ変換される過程。イニシエーション、プロモーション、プログレッションの三段階モデルが古典的で、プロトオンコジーン活性化は主にイニシエーション段階を担う。環境化学物質や放射線に加え、ウイルスが遺伝子を組み替えることで突然変異が蓄積する。近年はゲノム不安定性や腫瘍微小環境が重要因子として注目され、免疫応答も発がん制御の要素として統合的に解析されている。分子レベルの発がん研究は、リスク評価から治療法開発まで幅広い医学応用につながる。