1926年ノーベル平和賞
受賞理由
ロカルノ条約の締結に尽力
受賞者
フランス
ドイツ国
解説
第一次世界大戦のあと、ヨーロッパの国々はもう二度と大きな戦争を起こしたくありませんでした。フランスのブリアンさんとドイツのシュトレーゼマンさんは、お互いに「けんかをやめよう」と話し合い、ロカルノ条約という約束を作りました。この条約では、国境を守り、問題は話し合いで解決しようと決めました。学校で友だちとけんかしないようにルールを作るのと似ています。ふたりはこの努力によってノーベル平和賞をもらいました。世界中の人々が、平和を大切にする気持ちを学ぶきっかけになりました。
関連キーワード
ロカルノ条約
1925年スイスのロカルノで調印された一連の協定。西欧国境の不可侵と紛争の平和的解決を定め、第一次世界大戦後の緊張緩和を象徴した。「ロカルノ精神」という協調の雰囲気を生み出し、当時の集団安全保障体制の礎となった。
集団安全保障
複数の国が侵略を共同で阻止し、相互の安全を守る仕組み。ロカルノでは英伊が保証国として介入を約束し、攻撃国があれば全体で制裁する枠組みを提示した。この考え方は国際連盟、国連、NATOなどの基礎理念となっている。
国際連盟
1920年発足の国際平和機構で、武力行使の禁止と紛争仲裁を掲げた。ロカルノ成功により1926年にドイツが加盟し、連盟理事会のバランスが改善された。限界もあったが、多国間協調の先駆けとして評価されている。
ヴェルサイユ条約
1919年に締結された第一次世界大戦講和条約で、ドイツに賠償や軍備制限を課した。ロカルノはその厳格な体制下での信頼回復策として位置づけられ、西欧国境の確定を再確認することで条約秩序を柔軟に安定させた。
フランス・ドイツ和解
19世紀後半から繰り返し戦った両国は、ロカルノを通じて初めて正式に互いの国境と安全を認め合った。これはのちのエリゼ条約やEU統合へと発展し、欧州平和の中核的要素となった。
外相
国家の外交政策を統括し、条約交渉や国際会議に代表として出席する閣僚。ブリアンとシュトレーゼマンはいずれも外相としてロカルノ交渉を主導し、個人の指導力が国際和平に影響を与えうることを示した。
ケロッグ=ブリアン条約
1928年に締結された戦争放棄条約で、武力による紛争解決を全面的に否定した。ブリアンのロカルノ経験が呼び水となり、世界規模で「戦争違法化」の理念を広めた。国際法上は後の国連憲章へと受け継がれている。