1934年ノーベル平和賞
受賞理由
国際連盟世界軍縮会議(1931~1934年)の議長としてのたゆまぬ奮闘と勇気ある努力
受賞者
イギリス
解説
アーサー・ヘンダーソンさんは、国同士がけんかをしないで仲良くできるように話し合いの場所を作った人です。第一次世界大戦のあと、世界にはたくさんの武器が残っていました。ヘンダーソンさんは「世界軍縮会議」の議長になり、いろいろな国の代表を集めて「武器を減らそう」と呼びかけました。これは、子どもがけんかをやめておもちゃの刀をしまうように、本物の兵器を減らそうとする取り組みでした。会議は思ったように進まなかったけれど、彼はあきらめず何度も話し合いを続けました。その努力が評価され、ノーベル平和賞を受け取りました。
関連キーワード
軍縮
軍縮とは国家が保有する兵器や兵力を削減・廃棄する取り組みです。19世紀末のハーグ平和会議で初めて国際議題となり、第一次世界大戦の惨禍を経て本格的な制度化が模索されました。軍縮には数量的削減のほか、質的制限や査察制度の導入が含まれます。ヘンダーソンが議長を務めた世界軍縮会議は、その包括的枠組みを構築しようとした最初の大規模試みでした。今日の核兵器削減交渉や通常兵器規制にも軍縮の概念が受け継がれています。
国際連盟
国際連盟は1920年に設立された史上初の普遍的国際機構であり、集団安全保障と平和維持を目的としました。総会・理事会・常設事務局を持ち、紛争調停や経済・社会問題にも携わりました。世界軍縮会議は連盟総会決議に基づき招集され、会議自体は連盟の制度的傘下で運営されました。連盟は第二次世界大戦により機能不全に陥りましたが、その経験は国際連合(UN)創設に直接活かされました。ヘンダーソンの活動も国際機構の可能性と限界を示す重要な事例です。
世界軍縮会議
1932年2月にジュネーブで開幕し、約60か国が参加した国際会議です。目的は陸海空軍備を数量・質の両面で制限する多国間条約の策定でした。会議では攻撃兵器・防御兵器の区分や査察体制、期限付き削減率などが議論されました。議長のヘンダーソンは全体会議と委員会活動を調整し、合意文書の草稿(“Draft Convention”)をまとめました。政治情勢の悪化で条約化には至りませんでしたが、後の軍備管理交渉に大量の技術資料と経験を残しました。
第一次世界大戦
1914年から1918年にかけて行われた史上初の世界規模の総力戦で、約1,000万人以上が戦死しました。機関銃、毒ガス、大型火砲など近代兵器の破壊力が社会に深い衝撃を与え、戦後は平和と軍縮を求める世論が高まりました。ヘンダーソン世代の政治家は、この惨禍を二度と繰り返さないために国際協力の枠組みづくりに尽力しました。第一次大戦の教訓は、集団安全保障や国際法強化に向けた動きの出発点となりました。軍縮会議もその流れの中で開催されたのです。
集団安全保障
集団安全保障は「一国への攻撃は全加盟国への攻撃」とみなし、共同で対処するという仕組みです。国際連盟規約や国連憲章に取り入れられ、軍縮と並ぶ平和維持の柱とされています。ヘンダーソンは軍備削減を成功させるには各国が互いの安全を保証する同盟的枠組みが必要だと主張し、相互安全保障議定書案を提示しました。これは後に北大西洋条約機構(NATO)や集団的自衛権概念につながる思想的源流となります。軍縮と安全保障の相補性を示す重要なキーワードです。