1945年ノーベル平和賞

受賞理由

国際連合憲章の起草を称えて

受賞者

コーデル・ハル
コーデル・ハル

アメリカ合衆国アメリカ合衆国

解説

コーデル・ハルさんは、世界のみんながけんかをしないようにする仕組みを作ろうとしたアメリカの政治家です。第二次世界大戦の最中に、国と国が話し合う大きな教室『国際連合』を考えました。ハルさんは、そのルールブックである『国際連合憲章』を書く仕事を中心になって進めました。国連のおかげで世界の国々は集まって問題を話し合うことができます。平和を願った彼の努力が、ノーベル平和賞という形で讃えられました。

関連キーワード

国際連合憲章

1945年6月サンフランシスコ会議で採択された、国際連合の設立条約。前文と19章111条から成り、平和維持・人権・経済社会開発の三本柱を規定する。安全保障理事会の拒否権や集団的自衛権など実効的メカニズムを明文化し、リーグ・オブ・ネーションズの欠点を是正した。多国間条約としては最も加盟国数が多く、現在も改正を受けずに機能している。ハルは草案段階で法技術的統合を主導し、文言の精緻化に大きく寄与した。

ダンバートン・オークス会議

1944年8〜10月に米ワシントンD.C.で開催された米英ソ中4か国の専門家会議。国際連合創設の基本構想を協議し、安全保障理事会の権限、総会の機能、事務総長の任命手続きなどの制度設計をまとめた。ハルは米国団を統括し、ソ連との権限配分交渉で『拒否権』を妥協点として打ち出した。会議文書は『提案草案(Proposals)』として公開され、翌年のサンフランシスコ会議の正式草案となった。国際制度研究ではプレネゴシエーション段階の典型例として引用される。

モスクワ外相会議(1943)

第二次世界大戦中の1943年10月、米英ソ中の外相が集まり、戦後国際秩序の基本原則を協議した会議。ハルは『汎世界安全保障機構』創設の必要性を提起し、初めて公式文書に米ソ中英四か国による国際機構構想が記載された。会議はまたイタリアの降伏管理やオーストリア再独立声明などを決議し、連合国の協調を強化した。国際連合設立に向けた正式外交ルートが確立された点で画期的。制度史的には、戦時同盟を平和期の機構に転換するプロセスの出発点と評価される。

集団安全保障

複数の国家が共同で侵略国に制裁を加えることで、個別の軍備競争を抑制し平和を維持しようとする安全保障の枠組み。第一次世界大戦後の国際連盟が最初の試みだったが、全会一致制と不履行により機能しなかった。国連憲章では安全保障理事会に強制措置の権限を集中し、実効性を高めた点が大きな改良点である。ハルはこの概念を米国の外交教義として定着させ、米国内の孤立主義を克服する理論的裏付けとした。現代でもNATOやOSCEなど地域機構が集団安全保障の補完的役割を担っている。

多国間主義

複数の国家が対等な立場でルールを作り、共通の問題に取り組む外交姿勢。ハルは二国間協定中心だった米外交を、多国間協調へと方向転換させた代表的指導者である。彼の相互通商協定法や国連構想は、この原則を具体的制度に落とし込んだ例といえる。多国間主義は規範的な平等性と実用的な効率性を両立し、長期的な制度安定性をもたらすとされる。21世紀の気候変動や感染症対策でも、この考え方が再評価されている。

ハル・ノート

1941年11月26日に米国務長官コーデル・ハルが日本に提示した対日覚書。中国からの全面撤兵や三国同盟の破棄などを要求し、日本政府は受け入れを拒否した。真珠湾攻撃直前の最後通牒と位置づけられることが多いが、実際には交渉継続の意図も含まれていたとする新研究もある。ハル・ノートは太平洋戦争開戦の直接要因として歴史学上重要で、彼の強硬かつ原則的な外交姿勢を示す資料である。国連構想との対比で見ると、戦争終結と平和秩序構築にまたがるハルの一貫した戦略が読み取れる。