1978年ノーベル平和賞

受賞理由

キャンプ・デービッド合意によりエジプトとイスラエルの和平を交渉した功績

受賞者

アンワル・アッ=サーダート
アンワル・アッ=サーダート

エジプトエジプト

メナヘム・ベギン
メナヘム・ベギン

イスラエルイスラエル

解説

昔、エジプトとイスラエルのあいだでは戦争が続いていました。1978年、アメリカのキャンプ・デービッドという別荘で、エジプトの大統領サーダートさんとイスラエルの首相ベギンさんが、けんかをやめて話し合いをしました。アメリカの大統領カーターさんも助けました。三人は12日間、何度も会議をして「もう戦争をしないで仲良くしよう」という約束を作りました。それが「キャンプ・デービッド合意」です。この合意のおかげで二つの国は和平条約を結び、長い戦争が終わりました。ノーベル平和賞はこの大きな一歩をたたえて二人に贈られました。

関連キーワード

キャンプ・デービッド合意

1978年9月17日に署名された二つの枠組み文書の総称であり、イスラエル‐エジプト和平とパレスチナ問題の暫定処理を規定した。交渉は米国大統領別荘キャンプ・デービッドで12日間行われ、ジミー・カーターが調停者を務めた。文書にはシナイ半島の段階的返還、相互主権承認、非武装地帯設定、将来のパレスチナ自治に向けたロードマップが盛り込まれた。合意は1979年の平和条約に直結し、中東の国家間戦争を大幅に減少させた。40年以上存続し、地域安全保障の基盤と評価されている。

シナイ半島

アフリカ大陸とアジアをつなぐ三角形の半島で、1967年以降イスラエルが占領していたが、キャンプ・デービッド合意により段階的返還が定められた。シナイは石油資源とスエズ運河航路を抱える戦略要衝であり、領有権は中東紛争の中心課題だった。合意後、半島はゾーンA,B,Cに分割され非武装化され、多国籍監視団が駐留する仕組みが構築された。エジプトへの返還は1982年に完了し、以後エジプトは同地域で観光開発を進めている。返還は「土地と平和の交換」のモデルケースとなった。

ジミー・カーター

第39代アメリカ合衆国大統領で、キャンプ・デービッド合意の主要な調停者。彼は首脳と個別会談を重ねる「シャトル外交」を展開し、詳細な地図と文書案で対立点を一本化した。交渉中は同地にとどまり続け、12日間で問題を収束させた。カーターは中東和平を大統領任期の最重要課題と位置づけ、合意成立後も監視団の創設や援助パッケージに尽力した。退任後もカーター・センターを通じて紛争調停や選挙監視を行い、平和外交の象徴的存在となっている。

国連安保理決議242

1967年の第三次中東戦争後に採択された決議で、イスラエルの占領地からの撤退とすべての国の安全な境界線を求めた。キャンプ・デービッド合意はこの決議を法的基盤として引用し、シナイ返還とパレスチナ自治を正当化した。242は「土地と平和の交換」という原則を示した最初の国際文書とされる。文言の曖昧さ(the territoriesかterritoriesか)をめぐり長年議論が続いたが、外交交渉の枠組みとしては機能し続けている。同決議は後年のオスロ合意やアラブ和平イニシアチブにも引き継がれた。

パレスチナ自治

キャンプ・デービッド合意第一部で示された、占領下のヨルダン川西岸とガザ地区に5年間の暫定自治政府を設ける構想。自治の範囲や治安権限については詳細合意に至らず、後年のオスロ合意で改めて交渉された。合意当時はヨルダンとパレスチナ解放機構(PLO)が参加しておらず、実施は困難だった。とはいえ、自治という概念を正式文書に盛り込んだ点は画期的で、パレスチナ国家樹立議論の出発点とみなされる。今日も暫定自治の枠組みは完全な解決に至っていないものの、中東和平プロセスの中核課題であり続けている。

多国籍監視団(MFO)

エジプト‐イスラエル平和条約に基づき、シナイ半島に配置された民間主体の国際監視団。国連安保理の拒否権行使で国連平和維持軍が派遣できなかったため、米国が中心となり1982年に創設された。MFOはゾーンごとの兵力制限や航空活動を監視し、四半期報告を提出する。隊員は十数か国から派遣され、旗とユニフォームは国連ブルーではなくオレンジ色を使用する。MFOのモデルは、政治的合意があっても国連枠外で監視体制を構築できることを示した先例となった。

外交交渉

国家や組織が利害を調整し合意形成を目指す公式の対話プロセス。キャンプ・デービッドは第三者仲介、集中的合宿形式、トップダウンのテキスト起草という点で特徴的だった。交渉では秘密保持が重視され、外部メディアの遮断により当事者が譲歩しやすい環境が整えられた。カウンタープロポーザルの迅速な提示が信頼形成に寄与し、最終的な合意文書は複数の専門チームによって法的チェックが行われた。この成功例は「隔離型交渉」(proximity talks)や「シャトル外交」の教科書的事例として国際関係論で扱われている。