2022年ノーベル物理学賞
受賞理由
量子もつれ状態の光子を用いた実験によるベルの不等式の破れの実証と、量子情報科学における先駆的研究
受賞者
フランス
アメリカ合衆国
オーストリア
解説
私たちが見る光は、小さな粒である光子がたくさん集まってできています。今回の受賞者は、二つの光子が『見えない糸』でつながったように振る舞う“量子もつれ”という不思議な現象を調べました。一方の光子を観測すると、もう一方の光子の様子が遠く離れていてもすぐ決まることを確かめたのです。これはサッカーボールを友達に投げたら、同時に遠くのボールの色が変わるようなものです。こうした研究は、将来とても安全な通信や新しいコンピュータを作る手がかりになります。
関連キーワード
量子もつれ
量子もつれは、複数の粒子が状態空間を共有し、個々の測定結果が単独では記述できず、全体系としてのみ完全に記述できる現象です。測定前には各粒子の物理量が確定しておらず、測定すると相関を伴って同時に決まります。空間的分離にもかかわらずコヒーレンスが保たれるため、非局所相関の源となります。エンタングルメントは量子コンピュータの並列性、量子通信の安全性、量子センシングの感度向上に不可欠なリソースです。近年は光子だけでなくイオントラップや超伝導量子ビットでも高忠実度生成が可能になっています。
ベルの不等式
ベルの不等式は、局所実在性を仮定する隠れ変数理論が満たすべき統計的上限を示します。測定結果の相関を4種類以上の設定で比較し、指標Sが2を超えるかどうかで量子力学との整合性を判定します。不等式を破る観測は隠れ変数理論を排除し、非局所性を支持します。CHSH形式やCH型など複数のバリエーションが提案され、実験条件に応じて選択されます。最近では多体系や連続変数系への拡張も理論・実験双方で進んでいます。
光子偏光
光子偏光は電場ベクトルの振動方向によって定義される内部自由度で、古典的には縦波・横波の概念と対応します。量子力学では直線偏光と円偏光の重ね合わせで任意状態を表現でき、パウリ行列と同型のシュルベリュー球で可視化されます。ポラライザや波長板により制御・測定が容易で、もつれ光子対生成や量子鍵配送に最適です。検出効率が高く室温動作が可能なため、大規模量子ネットワークの信号キャリアとして広く用いられます。またナノフォトニクスと組合せ、オンチップ量子オプティクスへの応用も進んでいます。
量子テレポーテーション
量子テレポーテーションは、未知の量子状態を物理的な搬送なしに離れた場所へ転送するプロトコルです。送信者がもつれ対の片方と転送対象をベル測定し、古典通信で結果を受信者へ送ります。受信者は測定結果に応じたユニタリ変換を施すだけで、元の状態を再現できます。測定によって発信元の状態は消滅するため、ノークローン定理と矛盾しません。この方式は量子リピーター、分散量子計算、量子インターネットの基盤機能として位置付けられています。
量子鍵配送
量子鍵配送(QKD)は、量子力学の原理を利用して二者間に情報理論的に安全な暗号鍵を共有させる技術です。観測による状態破壊を利用し、盗聴者が介入すると誤り率が増加して検知できます。BB84やE91などのプロトコルがあり、後者ではもつれ光子とベルテストの違反を用いて安全性を保証します。近年は衛星リンクや大都市光ファイバ網で数百キロメートル規模の実装が行われています。量子コンピュータ時代に耐量子性を備えた通信手段として注目度が高まっています。
ローカルリアリズム
ローカルリアリズムとは、物理系の性質が測定前から確定して存在し、相互作用は光速以下で情報を伝播するという哲学的立場です。古典物理学では直感的に受け入れられてきましたが、ベルの不等式違反はこの立場と整合しません。量子力学は状態の確定を測定行為に帰属させ、非局所相関の存在を許容します。実験的検証によりローカルリアリズムは自然界の基本原理ではないことが示唆されました。この結果は因果関係や情報伝達の概念を再考させ、量子情報理論の発展を促しました。
隠れ変数理論
隠れ変数理論は、量子力学の確率的結果を未知の決定論的パラメータで説明しようとします。ボーム力学のような非局所的モデルやベルの不等式が対象とする局所的モデルに大別されます。局所隠れ変数はベルテストで排除されましたが、非局所的隠れ変数は数学的に量子力学と一致する場合があります。実験的進歩により、多体系や時空的無作為性を利用した自由選択ループホールの閉鎖が進み、隠れ変数の余地はさらに狭まりました。理論的にはコペンハーゲン解釈、多世界解釈との比較研究が続けられています。
量子情報科学
量子情報科学は、量子力学を土台として情報の取得、処理、伝送を研究する学際領域です。量子ビットの重ね合わせやもつれを利用して、従来の計算に比べ指数的優位を示すアルゴリズムを開発します。また量子誤り訂正やフォルトトレラント設計により大規模計算機の実現を目指します。通信分野では量子リピーターや量子インターネットにより地球規模のもつれ共有を構想中です。センシングでは量子スクイーズド状態により測定限界を超える感度が期待されます。これら全ての理論的・実験的基盤として、本受賞で実証された非局所相関が中心的役割を担っています。